活動記録

2005/11 松島〜泥湯温泉〜秋の宮温泉〜鳴子温泉〜銀山温泉〜かみのやま温泉 (宮城県/秋田県/山形県)

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也♪
・・・ということで、今回はみちのくの旅である。

銀山温泉は、「大正ロマンの〜」という宣伝文句で、雑誌などでもよく紹介されている山形県尾花沢にある温泉郷だ。写真を撮ることが好きな私も、その温泉街や老舗旅館の写真をみて、一度訪れたかったところだ。 ただ、山形県でもメジャーなその温泉郷、大正ロマンのテーマパークというか、ブランドイメージというか、老舗旅館ならではの高級っぽいイメージがあった。我々のような貧しいおじさんたちは、躊躇してしまう。また、山形県へは車で行くにしても1泊ではちょっと遠い。 ちょっと興味はあるけど、やっぱり行きづらいところなのである。ところが、今回は意を決して銀山温泉に行こうということになった。古い老舗旅館の並ぶ温泉街を見たい。そこ泊まってちょっとレトロな気分で過ごしたい。 ちょうど、11月は全員4連休だ。 いいんじゃない? ということで、決まっちゃいました。 2泊3日プランです。1日目は泥湯温泉に泊まり、銀山温泉は2日目に泊まることに。泥湯温泉は湯治場的な静かな山の中の温泉郷でこちらのほうが我々の指向としては本流であろう。うーん、ロマン派と正統派か。ちょっと対照的なこの2つの温泉郷に行くこととなった今回の温泉旅行企画でありました。

今回の活動ルート
1日目:
川崎市の某所⇒(東北自動車道〜南仙台自動車道)⇒松島(瑞巌寺〜松島遊覧船〜五大堂)⇒泥湯温泉(宿:奥山旅館
2日目:
泥湯温泉⇒秋の宮温泉(稲住温泉)⇒鬼首温泉(かんけつ泉弁天)⇒鳴子温泉(滝の湯)⇒鳴子峡⇒銀山温泉(宿:古山閣
3日目:
銀山温泉⇒山寺⇒上山温泉(下大湯)⇒(山形自動車道〜東北自動車道)⇒川崎市の某所

なお、管理人は不参加とのことで、残りの4人で行くことに。
いつものごとく、ワクワクする温泉旅行であった。

天気はいつものように良好。

松島といえばやはり瑞巌寺であろう。
大漁歌い込みのうたが思い浮かぶ。

瑞巌寺は天平時代からある大きなお寺。
元々は828年に円仁が開いた天台宗のお寺(延福寺)だったが、その後、1259年ごろ真壁平四郎が臨済宗のお寺(福禅寺)として開き、さらにその後の1609年ごろ、伊達正宗が瑞巌寺として建立した。
伊達政宗の菩提寺としても知られている。

方丈では、襖に描かれた錦絵や腕の良い職人さんが彫ったという透かし彫りが印象的だった。

写真の奥の建物は庫裏(寺の調理場)である。



瑞巌寺を出て、参道を松島湾のほうに向かいゆっくり歩きながら、参道にならんでいる石彫りの観音様を1体ずつ撮影を楽しむ。ここにはやぐらがたくさんあって興味深い。

ところで今回持っていった機材であるが、
カメラ
・CANON EOS5D
レンズ
・広角用にEF17-40mmF4L
・望遠用にEF70-200mmF2.8L IS
である。

EOS5Dはこの年の9月末に発売されたデジタル一眼レフカメラで、まだ買ってから1ヶ月くらいだった。
カメラ経験のある人はわかると思うが、新しいカメラを買ったときは何でも撮りたくってたまらないのだ。

松島や 鶴に身をかれ ほとゝぎす♪

遊覧船に乗って松島湾めぐりをすることとなった。
船が出港すると、大量のカモメ軍団がエサを求めて船を追いかけてくる。こんなにカモメの群がる遊覧船も初めてだ。船の後部デッキは家族連れの観光客も多く子供もお母さんも大量のカモメで大賑わいであった。ホトトギスのところはユリカモメに直しておこうか。

望遠レンズで島を撮影中でもカモメがレンズの前を横切り、シャッターを切るタイミングも難しい。

それにしても船に乗るのも久しぶり。海風は気持ちいい。ビールもうまい。
遊覧船を降りて五大堂に向かった。
ここは五大明王像を安置したことからそのようにいわれている。御開帳は特定日のみでありこの日も中の明王様を見ることはできなかった。
各面の上のほうに十二支が彫られており鶏の羽が柔らかい質感でうまく彫られているなあと思った。

その後、近くの食堂で生牡蠣と牛タン定食をいただいた。

14時になったところで泥湯温泉を目指して出発した。ナビの到着予定時刻は 18時。「晩御飯前に着きたい!」 ちょっとあせる。
途中で地酒を買い 泥湯に着いたのは17時前。
泥湯温泉の標識を通り過ぎるといきなり広がる泥湯の地獄の蒸気、硫黄臭。泥湯温泉に到着したのだと各感覚器官が実感する。
わーい、やっと到着!

ナビの予定時刻を大幅に短縮して到着することができた。さすが、部長の運転である! 何度か山からころげ落ちそうになったが。(うそ、安全運転でした)

それにしても、けっこう山の奥に来たいう感じである。

奥山旅館は、大正元年にオープンしたそうで、温泉自体は室町時代からあったらしい。
さっそく浴衣に着替えて天狗湯(写真奥)に浸かりに行った。

ふう、やっとこ今回の最初の温泉に浸かることができた。
お米のとぎ汁のような白濁したお湯でとろりとした滑らかな感じで気持ちよかった。

湯上りに(湯上りじゃなくても良いが)手前の水場 不老不死(写真 手前)でおいしい水を飲むことができる。ここのお水を小さなペットボトルに汲んで帰ってコーヒーを淹れたらおいしかった。

18時から食事のため下のお座敷に移動。
秘湯ビールで乾杯し、料理をいただく。
料理は、山菜料理、洗い、鯉こく、川魚の塩焼き、みなせ牛のステーキ(opt)など、素朴ではありますが、ボリュームはたっぷり。2時間くらい食事してました。しばらく腹いっぱいでうごけませんでした。

その後、天狗湯と反対側の大野天風呂(写真=翌朝撮影)に浸かる。
湯船が広くてここも気持ちよかった。

それから 部屋に戻り、地図を開いて翌朝の工程を話したりしながら地酒やまとしずくを味わった。

明日は秋田を出て再び宮城を経由して山形に入る予定である。



翌朝 朝食の後、昨日着た時に見た地獄のほうが気になったので、散策した。

写真はその泥湯温泉の地獄である。

地面の下は熱湯と蒸気であふれているようだ。

立ち入り禁止!
危険!
熱湯注意!
高温蒸気噴出!
やけど注意!
これでもかといわんばかりに
たくさんの看板が注意を促している。


散策の途中,ちいさな鳥居が見えたので登ってみた。

登る途中で振り返ると泥湯温泉郷を一望できた。

泥湯温泉が山に囲まれた小さな温泉郷であるというところをここから写真に収める。

ところでここらへん一帯にもあちこちに湯気のたっているところがある。

少し霞がかっているが、今日も天気が良さそうだ。

朝9時半に泥湯を出発し、秋ノ宮温泉郷 稲住温泉についたのは朝10時前だった。

ここは明治29年創業、文豪武者小路実篤ゆかりの温泉宿とのことである。

ここの樽風呂からの景色は眺めが良かった。
板張りのベランダに、樽が2つ、大きな五右衛門風呂が1つの計3つの湯船が配置されている。
お湯は無色透明で茶色い湯の花が混じっていた。
役内川の渓流をはさんで反対側の斜面の木々の眺めが良く爽快だった。

肩まで浸かるとお湯が樽から溢れ出る。 まさにアルキメデスの原理。道具係は樽からをザザーっと大量に溢れ出るお湯の爽快さを楽しんでいるようであった。





プシュ〜 。出たあ!
鬼首温泉 かんけつ泉弁天である。

10〜15分おきに100度の熱湯が2分間くらい高さ15mの高さまで噴出する。

私は大分(地獄巡りだったかな?)でも似たようなものを見たがこちらのほうが規模が大きいように思えた。

ところで、
鬼首なんておどろおどろしい響きである。
その昔は鬼切辺といわれてたそうである。
陸奥の国の俘囚長であった安倍頼時が鬼と呼ばれ恐れられていた大竹丸を征伐したらしい。(鳴子町史より)

鳴子温泉に到着し、駅前に車を留め、
ここでお昼にすることにした。

本日の昼食は鳴子名物鴨ウーメン。
(名前が珍しかったので・・・)
ウーメンですが、そうめんを太くした感じの麺。
素朴なお味でした。

写真は鳴子温泉 滝の湯である。
古くからある共同浴場。
硫化水素泉の酸性泉。
無色透明、源泉62℃、浴槽42℃。

やや強めでぴりリとしたとても良いお湯でした。

鳴子温泉の近く、景勝地 鳴子峡がある。

大谷川の渓流沿いに整備された遊歩道を1時間弱歩いた。

上から差し込んでくる光がトップライトのように深く切り入る渓谷斜面の木々を照らしている。

ここでは、その景観にたくさんシャッターを切らされた。 後で数えてみるとここだけで150枚くらい撮っていた。 しかし、たくさんシャッターを切っていても飽きないすばらしいところだった。

ところで、2007年は落石で怪我をした人が出て遊歩道は全面通行禁止とのことである。








銀山温泉に到着したのは17時すぎだった。

この日の宿の古山閣にチェックインし、すぐさま散策に出かけた。

温泉街の奥のほうには白銀公園がある。ここに白銀滝という滝がある。
三脚を立ててスローシャッターで滝を撮る。

そのあと、さらに滝の上のほうへと歩き、
銀鉱洞跡なども見学した。
陽も暮れて、ガス灯に明かりがともると、
温泉街にノスタルジックな雰囲気が漂い始める。

ここで写真を撮っていて感心したことは、
古くからの建造物の景観のことを考慮してのことか、ここの温泉街は電柱や電線がまったくないことである。

時間の経つのも早く、もうすぐ食事の時間だ。

散策から宿に戻り、3階の貸切露天風呂でひと風呂浴びる。檜のお風呂。今日はちょっと歩いたのであまり熱くないお湯が心地良かった。

湯あがりに飲んだビールは地ビール月山。
普段飲めないビールが出されたこともうれしい。
しばらくして 夕食のお膳が部屋に運ばれてきた。
うれしい部屋食である。

お料理は、とても上品であった。おしながきも付いている。岩魚の姿造り、尾花沢牛のしゃぶしゃぶ。美味しかったです。ボリュームも上品だった。
ここで飲んだお酒はとうほくいずみでした。
食事のあと、宿の窓から外を眺めてみたり、外を歩いてみたり、内風呂に入ったり、銀山温泉の夜を楽しんだ。

ちなみに、ジニーさんで有名な旅館藤屋さんはこのときは旅館を建て替えていて工事中。ちょっと残念だ。
写真は、古山閣のトレードマークの招きお多福さん。

お多福さんの横に宿泊者からの手紙が額に入れられおかれている。

読んでみると、ここの宿でもらえる大きめのマッチ箱は子宝パワーがあるようだ。

私たちもチェックアウトの際に、そのありがたいマッチをいただいた。

右横に見える巴形の石臼は、昔、これで銀鉱石を挽いていたという縁起の良い石臼だ。ここに座って写真を良いそうである。
銀山を出発した我々は山寺を目指した。

山寺は、宝珠山立石寺(りっしゃくじ)というそうである。

860年に慈覚大師円仁によって開かれた天台宗のお寺である。(ちなみに、円仁は松島の延福寺(=今の瑞巌寺)を開いたお方です。また、お大師さんというと関西方面では空海=弘法大師のことであるが、東北では円仁=慈覚大師なのだそうである。)
山の上だし、戦国時代は無事だったのかなあと思ったら、伊達氏の天童攻めの際に炎上したとのこと。

ここでは、山から露出した岩に彫られた磨崖仏や卒塔婆や、岩の中にお堂や、たくさんの丸い穴が空いた岩(おそらくやぐら)が印象的だった。まさに岩山という感じである。岩を重ねた山の上に木やお寺が生えている。

山寺をあがってゆくと展望台のようなところがあった。松島にもあったが、ここにも五大堂というそうだ。

ここからの街や遠くの山々の眺めは気持ち良かった。この眺めは、山を登ってきた人へのご褒美である。
芭蕉もここに来て心も澄みわたるといっていた。

閑さや岩に染み入蝉の声♪

「蝉の声」というのもちょっと疑問である。蝉は発声して鳴いているわけではない(と思っていた)。腹のあたりから音を出している。とても口や喉から声を出しているとは思えない。あれを声というだろうか? と考えていたら、あの腹のあたりにある器官を発声器官というそうでした。(普通は口や喉から声を出すのが発声と思っていた。じゃあ、コウロギの羽も発声器官というのだろうか?)
ところで、その蝉は、ニイニイゼミのことではなかった。
芭蕉の師匠だった蝉吟(藤堂良忠)のこと。芭蕉はここで蝉吟の教えが心に染み入るようにわかって心が澄みわたったのだった。

山を降り、お土産屋さんの食堂でいも煮定食をいただいた。


山寺から、やまがた市街地に移動した。
ここではまず文翔館(写真)を見学した。

文翔館の外観はどっしりと重厚で男性的である。
中に入ると少し暗く、貴婦人的な静かな落ち着いた洋風の雰囲気である。クラシカルでレトロな机や椅子などの調度品が置かれて静かに各部屋を見て回る。洋館を見るのも好きだ。入場料無料というのもうれしい。

文翔館を出て、やまがたのんびりタウンをフラフラと歩き、着いたところは最上義光歴史館。ここ最上義光歴史館でも、歴史好きな道具係はうれしそう。
一昨日は松島で伊達正宗に会ってきたし。






そろそろ帰る時間が近づいてきた。
今日もけっこう歩いて汗もかいたのでひと風呂浴びて帰りたい。
最後に立ち寄った温泉は、上山(かみのやま)温泉。
ここ下大湯共同浴場(写真)は、上山温泉では古い共同浴場だそうだ。お湯はけっこう熱かった。いいお湯なんだろうけど、我慢弱い私は10分くらいであがっちゃいました。

ここから山形自動車道に乗り、東北自動車道を経由し家路についた。

今回のみちのくの旅。
天気にも恵まれ、いろいろと楽しかった。
5つの温泉に入ったし、遊覧船にも乗ったし、寺も2つ回れたし、渓谷や滝も見ることができたし、銀山の温泉街も見れたし。写真もたくさんとれたし。

みちのくは、ちょっと神秘的でノスタルジックでいいところでした。
いつか平泉のほうにも行きたいな〜
乳頭温泉とかもいいなあ〜
酸性の強いところ(玉川温泉だっけ?)も入ってみたいな〜

(カメラマン)

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